小児の肺炎球菌感染症にかかったしょうた君の場合

しょうた君(仮名)は、ご両親にとって3人目のお子さんでした。初めての男の子で、二人のお姉ちゃんにも大変かわいがられていました。生まれて5か月になった頃でしたが、ある土曜日に朝から39℃の熱が出ました。初めての熱でしたが、せきや鼻水もなく、そんなに機嫌も悪くありませんでした。お母さんはそんなに心配していなかったのですが、週末だったので朝のうちに小児科を受診しました。お姉ちゃんたちがいつもかかっているところです。先生はいつもと同じように診察して、「おそらく突発性発しんでしょう。薄着にして水分をよくあげてください。熱が続いたら月曜に受診してください。」と説明してくれました。普段からあまり薬を出さない小児科でしたので、薬は何も出ませんでした。

日曜日も39℃の熱が続いていましたが、お姉ちゃんの突発性発しんのときも同じだったので、特に心配することもなく家で様子をみていました。後から考えると、お姉ちゃんの時よりも、少し機嫌が悪かったかもしれないということでした。日曜の夜も熱は続いていましたが、夜遅くになってぐったりしてきたように思ったので心配になり、地域の夜間救急の病院を受診しました。救急の待合で待っている間に、急にうーっとうめくような感じになり、短い時間でしたがけいれんを起こしました。すぐに診てもらいましたが、顔色もすごく悪くなり、髄膜炎(ずいまくえん)か敗血症だろうと説明されました。緊急に入院して治療をする必要があると言われました。

病室はナースステーションの隣でした。処置が終わって病室に入れてもらうと、しょうた君は点滴につながれ、心電図のモニターや酸素マスクもつけられていました。数時間後に当直の先生からは、入院時の検査結果で細菌性髄膜炎だろうと言われました。お母さんもお父さんも、突発性発しんとばかり思っていたので、頭の中が真っ白になってしまいました。数日後に、最初の髄液から肺炎球菌が見つかったので、「肺炎球菌による細菌性髄膜炎」と説明されました。

しかし、入院後も何度もけいれんが起こるため、麻酔をかけて眠らせた方がよいということで、ICUにうつることになりました。抗菌薬の治療も2週間以上続けられましたが、脳萎縮と水頭症になりました。3か月後に退院しましたが、重い障害が残ってしまいました。髄膜炎になる前は、うつ伏せでしっかり首をあげて周りを見渡していましたが、今では首もすわらず、目も追わないままです。おそらく耳も聞えていないだろうと説明されています。てんかんの診断で抗けいれん薬も飲ませています。

お母さんの話では、最初に受診した小児科の先生は入院中にお見舞いに来てくれたそうです。でも、お母さん自身の気持ちの整理がつかないので、今ではその小児科には行っていないということでした。また、インターネットで「肺炎球菌の髄膜炎はワクチンで予防できるが、日本ではそのワクチンがまだ受けられない」ことを知り、予防できたはずの病気で後遺症が残ったことに憤りを感じているということです。
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